朗読台本

【朗読台本】雨上がり、謎解きからの恋心【30分~40分】

【朗読台本】雨上がり、謎解きからの恋心【30分~40分】
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作者名 紺乃未色(こんのみいろ)
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紺乃未色
紺乃未色
中学生の青春の1ページをイメージしました。

概要

カテゴリ 朗読(一人)
ジャンル 現実世界・恋愛・青春
時間(目安) 30分~40分
あらすじ 雨なんてうんざり。そんなことを思いながら歩いていたら、初恋の人、トウマくんを見かけた。小さな箱を抱えて、公園で立ち尽くしている。どうやら、鍵の暗証番号を見つけようとしているみたい。

― とある雨の日の、小さな謎と青春の物語。 ―

注意 このストーリーはフィクションです。実在する人物や団体、出来事などとは一切関係がありません。

その他、朗読におすすめの台本は、以下のページにまとめています。

紺乃未色
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フリー台本『雨上がり、謎解きからの恋心』

1

朝から雨が降っていた。
うんざりしながら、道のはじっこで咲いているあじさいたちの横を通り過ぎる。
薄い紫色。くすんでいるみたい。雨に濡れた葉っぱの上では、カタツムリがもたもた動く。そういう光景が「梅雨つゆですよ」ってわざわざ伝えてくるようで、サイアクな気分。
「はああああ」
連日の雨、雨、雨。
ただでさえ、受験シーズンでテンションが落ち込みがちなのに……。やっぱり「勉強に集中するためにピアノに触らない」って決めたのがよくなかったのかな?
モヤモヤが風船みたいに膨らんでいく。
「いっそのこと」
アスファルトにヒビが入るくらい、ざあざあと降ってくれたらいいのに。
そうしたら、誰にも知られることなく大声で叫べるのに。
今、ためしにやってみようか。
せーの!
「毎日つまらない!」
「勉強なんてしたくない!」
「塾いやだ!」
そうやってこっそり吐き出したいことは山ほどあるんだから。
でも……。
わたしは顔をトマトのように真っ赤にしながら叫ぶ自分の姿を想像した。とたんに荒ぶっていた感情がスンと鎮まる。
「うん。止めよう。みっともないし、かわいくない」
気をとりなおして、子犬が描かれた透明の傘をぐるりと回す。ビニール生地《きじ》が弾いた雨の粒がぽろぽろと地面へと落ちていく。
まるで、小さな犬が涙を流しているみたい。おんなじようにわたしも泣きたい。

2

「あれ?」
通りがかった公園に、ふと視線を向ける。
そこにはトウマくんがいた。一匹オオカミタイプのクールな彼が、南野《みなみの》公園のはじっこで立ち尽くしている。
どうしたんだろう。
トウマくんとは、昔よく一緒に遊んだ。わたしが転ぶと、誰よりも早く手を差し伸べてくれたっけ。
わたしの初恋の人。
だけど、今はクラスメイトのひとり。
成長するにつれて、あんまりおしゃべりしなくなって、ほのかな恋心もいつからか記憶の引き出しに仕舞われてしまったから。
べつにケンカしたとかじゃない。
そういうもんなんだって思ってる。
「ねえ! トウマくん? こんなところでなにしてるの?」
思いきって、わたしは話しかけてみることにした。
「ん? ああ。ジュリか」
トウマくんは、傘を差している方とは別の腕で、小さな箱を抱えていた。
「それなに?」
「あっ。これは……」
トウマくんがうろたえるなんて珍しい。わたしの好奇心は止まらなくなる。
「なにが入ってるの?」
「えっと、わからなくてさ……」
トウマくんの言葉に、わたしはぽかんとする。
「え、わかんないの?」
「……うん」
「宝石箱みたいにも見えるけど」
わたしはまじまじと小箱を見る。
ヨーロピアンなお花と曲線が彫られていて、ちょっぴり高級な感じ。トウマくんはいつも無地のシンプルなものを好んで使っている。今だって、差しているのは柄のない黒い傘。
だからこそ、どうして彼がその箱を持っているのか気になったんだ。
「あー。うーんと、うん、そうだな。……誰にも言うなよ?」
しぶしぶといった様子で、トウマくんが口を開く。
「もちろん!」
「実はこれ……父さんとのゲームなんだ」
「ゲーム? たしかに、ユウタさん、こういうの好きそうだけど」
トウマくんのお父さんは児童書の編集者をしていたはず。お母さんはオルガン教室の先生。昔たくさん遊んでもらったから、わたしは二人のことが大好き。今じゃたまに会うくらいになっちゃったけど。
「この箱、鍵がかかっててさ、開けるためには四桁の暗証番号が必要なんだ。それを探してるってわけ」
「なにそれ! 楽しそう」
「うん。まあ……。いや、楽しいのかな?」
「あれ? 面白くないの?」
「それどころじゃないというか、いろいろ懸かっているというか」
「そのゲームで、トウマくんにとって大切ななにかが決まるってこと?」
「……俺さ、絵の教室に通いたくってさ。それを父さんに言ったら、あとからこの小箱を渡されて、期限までに開けられたら考えるって言われたんだ。……ほら、今って受験に備えて勉強する時期だろ? だから、スムーズには認めてもらえなくってさ」
「そっかあ」
「そういうわけだから、あんまり人には言わないでくれよ」
「え、どうして? バレたらまずいことなんてないと思うけど」
なぜ、隠そうとしているのか、ちっともわからない。
「だって、恥ずかしいだろ。十五歳にもなって、一人でこんな宝探しみたいなマネ。笑われるに決まってる」
トウマくんはふいっと顔を背けてしまう。
「そうかなあ? わたしはワクワクするけど」
「本当か?」
「うん! あ、わたしも協力するよ」
「え? いいのか?」
「どうせ、家に帰ったって塾の宿題に追われるだけだし。そんなのつまんないもん。だから手伝わせて?」
「……そうだな、もうジュリには見つかっちゃったわけだし頼むよ」
「まかせて!」
傘をくるりと回す。ビニールにくっついていた水滴が、躍るように舞い散った。

3

「……それで、トウマくんはどうして公園にいるの?」
「ああ、父さんからのヒントなんだ」
そう言いながら、トウマくんはポケットから一枚の紙を取り出した。
「ええっと……。『南野《みなみの》公園・桜坂橋《さくらざかばし》・竹ノ小道《たけのこみち》』って書いてあるね」
「今のところ手がかりはこれだけ。それで、まずは南野公園に来てみたんだ」
「なにか、わかったことは?」
「ぜんぜん。ただ、気になるものはあって……」
トウマくんが指差す先には、赤いコップ。ひっくり返した状態で置いてある。
「どこからどう見ても、コップだよね……。それに、なんだか見覚えがある」
わたしはコップに近づいて、顔を近づけた。
「これさ、昔、俺が使ってたやつに似てるなあって思ってたんだ。でも、今、ジュリのおかげで確信した。絶対、そうだ」
「うん! わたしの記憶もその通りだって言ってるよ」
「それにしても、よく覚えてたな」
「そりゃあ……」
好きだったから。
そんな言葉を、ぐっと喉の奥に押しやる。
「ジュリ?」
「なんでもない。ということは、このコップはユウタさんが置いた可能性が高いってことだよね」
「そういうことだよな。でも、理由がわからない」
「理由か……」
うんうんと唸りつつ、わたしはしゃがみこんでコップを観察する。
ときどき、木の葉の隙間《すきま》から雨水が落ちてきては、コップの裏に当たって弾けていく。
「あ!」
思わず、声を上げる。
「どうした?」
「これ! ソの音だ。ソ、だよ」
トウマくんの方を向いて、わたしは叫ぶ。大発見だ、と思うほどに嬉しくなって、思わず頬が緩んじゃう。
「……」
せっかく、謎のヒントをシェアしたのに、トウマくんはその場で固まったまま……。
「ちょっと、トウマくん! 聞いてる? なにぼうっとしてるの?」
「あ、悪い。……なんでもない」
トウマくんの頬はどうしてか、ほんのり赤くなっている。
「ソだよ! ソ」
「うん。俺、そういうのよくわかんないから……。天才だな」
突然、トウマくんに褒められて、わたしは気恥ずかしくなった。
「天才は言い過ぎだって。……それに、コップのナゾはよくわかんないままだし」
「ああ。そっちはほんと、ナゾ」
「ここにいても解決しそうになさそうだよね。トウマくん、そろそろ次の場所に行ってみようよ」
わたしたちは、ヒントの場所でもある桜坂橋《さくらざかばし》に向かった。
橋といっても、幅は一メールほど。石で造られていて、あんまり人通りの多くない場所にある。
「うーん。なにかありそうには見えないよね」
「そうだよなあ。……あ! ヒントが橋ってだけで、この周辺になにか隠れてるのかも」
「それ! あり得そう」
わたしたちは橋の近くを歩き回って、あちこちに視線を走らせた。
「なにもないな」
「うん……」
橋の真ん中に立って、わたしは流れる小川の表面をじっと見つめた。なんにもひらめかない。
「ええっと……。ヒントは橋、でも、そこにないとすると……」
トウマくんが少し離れたところでぶつぶつと呟く。
「ないとすると……?」
「あ!」
「なにか、わかったの?」
「うーん。橋から見えるなにかが次のヒントかも。少し前に、お父さんに買ってもらった小説の話だけど……。主人公がいる地点から視界に入るものが手掛かりになってたから。なあ、ジュリ。そこから何が見える?」
「えっとね、川が続いていて、途中でカーブしていて……。あ、遠くに木が見える。あれって、松の木かな?」
「木!」
トウマくんが叫んだ。
それからわたしのすぐ隣に並んで、視線を木の方向へと向ける。
あ……。
もしも今、傘を差していなかったら、もっと近づけたのに……。そんな自分の考えにはっとして、どきりとする。
「あ、あの木がヒントってこと?」
なんでもないようなふりをして、わたしは尋ねる。
「可能性はあると思う!」
「あ。また、コップが置いてあったりして」
冗談っぽく、わたしは言った。
その十分後、トウマくんの声が裏返る。
「あった!」
びっくりした。松の木の下には、本当にコップが一つ置いてあったから。
「また、コップだね。これもトウマくんの家の?」
「ああ。見たことある」
「ということは、ユウタさんが置いたんだ。やっぱりコップが鍵ってことか」
そう言いながら、わたしはうなずく。
そのとき、松の木から大きな雨粒が落ちた。それは瞬く間にコップの底へと到達すると、心地良い音を奏でる。
「あ! 今度は、ラだ」
「さっきのは「ソ」で今度は「ラ」か。なにか、関係ありそうか?」
「うーん。その小箱の暗証番号って、数字形式だよね?」
「うん。四桁の数字」
「じゃあ、違うかなあ。ソもラも階名で数字じゃないからさ」
「そうだよなあ」
二人であれこれと考える。
そのうち、分厚い雲の裏にいた太陽が山へと沈んだせいか、あたりが一気に暗くなった。
「そろそろ帰った方がよさそうかも。続きは明日。ちょうど、塾休みだし」
「放課後、付き合わせてるけど大丈夫か? 塾がなくても勉強しないとダメだろ? ジュリ、いい高校狙ってるって聞いたぞ」
「あ、知ってるの?」
「うん。母さんたちが話してた。今はピアノも休んで、勉強に集中してるって。なのに……本当にいいのか?」
「いいの、たまには息抜きって必要だしね。それに、このナゾが解けないと勉強にも気が入らないし」
「そうか。悪いな、助かる。このゲームの期限さ、明日までなんだ」
「明日?! いつからしてたの?」
「昨日から」
「ということは三日間の期限だったんだ。……まあ、現実的に、いつまでもコップを置きっぱなしにできないか」
わたしが言うと、トウマくんが笑った。
「たしかに、そうだな」
「それに、雨の音が関係してるなら雨が降っているときじゃないとダメだよね。明後日からは少しだけ晴れの日が続くって言ってたよ」
「そうなのか? 天気のことまで良く知ってるな」
トウマくんは「ほう」という表情をして大きくうなずいた。
「ええ?! そんなに感心する? 新しく買ってもらった靴をいつ履こうか、タイミングを見計らっていただけなのに」
なんでもないことのように、わたしは言った。
「そっか。でも、やっぱり凄いよ」
わたしは照れ臭くなって、すっぽりと傘を被るようにして顔を隠した。そして、傘が透明であることを思い出して、小さく顔をそむけた。
頬がじんと熱い。スニーカーの中に入り込んだ雨水のせいで、つま先は冷たいのに……。
そんなちぐはぐさを感じながら、もう少し二人で歩いていたいなあと、しんみり思った。
わたしたちの家はすぐそこだ。
「じゃあ、また明日」
「うん。わたしも一晩、考えてみる。コップの音と四桁の暗証番号のこと。……さすがはユウタさんの考えたゲーム、一筋縄ではいかなそうだね」
昔よくそうしたように、わたしたちはひらりと手を振ってそれぞれの家路についた。

次の日も、天気予報の通り雨だった。そのことにほっとする。だって晴れたら、謎が解けなくなるから。
放課後、わたしは急いで竹ノ小道《たけのこみち》の入り口へ向かう。
「ごめん。待ったよね?」
「いや、さっき着いたところ」
「よかった! じっと傘見て、なにしてたの?」
「傘の先から雫が落ちるのを見て、昨日のことを思い出してた。木からもこんな風に雨水が落ちてただろう? それがコップの裏を叩いて、音が出てた」
「うん。やっぱり、今回もコップかなあ?」
「あり得そうだよなあ。竹ノ小道《たけのこみち》は百メートルくらい続くからな。見逃さないようにしないと」
竹ノ小道は、竹林《ちくりん》の中にある散歩道。
人が歩ける砂利《じゃり》道を挟むようにして、ずらりと竹が並んでいる。
「わたしが右側を見て歩くから、トウマくんは左側よろしくね」
「わかった」
小石を踏むザクザクという足音と、竹林に降り注ぐ雨の音。ふたつがリズムよく鳴り響く。
歩き始めてから少し経った頃、トウマくんが小さく叫んだ。
「あっ!」
「あった!」
竹ノ小道の休憩スペースのベンチの横、草にひっそりと覆われるようにコップは置いてあった。
「今度は新しそうなコップ。それに個性的なデザインだね」
「俺も見たことないな」
「でも、きっとこれもヒントだよ」
わたしはコップの近くにしゃがみこみ、目を閉じる。
竹の葉っぱから落ちた雫は、迷うことなくコップの裏側へとまっすぐに落ちていく。

4

「シ、だ!」
「ということは、ソ、ラ、シか」
トウマくんとわたしは近くの喫茶店《きっさてん》で、音のナゾを導き出そうとした。
「単純なんだけどさ、ドが一で、レが二で、ミが三とか?」
首をかしげながら、トウマくんが言った。
「それだと、ソは五、ラは六、シは七ってことだよね」
「三桁か。暗証番号は四桁。なら、一番最初に零を足して……。零五六七」
トウマくんが小箱のロック部分をカチャカチャといじる。
「どう?」
「違うみたいだ」
「なんだかしっくりこないもんね」
「ソ、ラ、シ。ソ、ラ、シ」
トウマくんはぶつぶつと唱える。
「ソ、ラ、シ。ソ、ラ、シ」
わたしもつられてリズムを刻むように呟いた。
「ソは数字だと……ないな。ラもない。シは四とも考えられるけど……」
トウマくんは思いつく限りのアイデアをアウトプットしていく。
「あ!」
「ジュリ?」
「それだよ!! それ!」
心の奥から、じわじわと興奮が湧き上がってくる。
「なにかわかったのか?」
「トウマくんの「シは四」でひらめいた! 音を数字にあてはめるの!」
「あ、ああ。でも、ソもラも数字として読むのは難しいぞ」
「そのままならね。ドレミファソラシドは、日本語だとハニホヘトイロハ。つまり、ソ、ラ、シはト、イ、ロ」
「トは十、イは一、ロは六ってことか」
「そう! つまり、一零一六」
わたしたちは視線を合わせて、大きくうなずいた。
トウマくんが小箱の鍵に手をかける。
「「開いた!!!」」
小箱の底には、一枚のメッセージカードが入っていた。
『おめでとう。君たちの勝ちだ!』
カードを手に取り、わたしは読み上げる。
「これ、父さんの字だ」
「あはは! わたしたち勝ったんだ。最高!」
やったーって思ったのに、トウマくんは複雑そうな顔をしている。
「トウマくん?」
「なあ、ジュリ。カードに書かれている「たち」ってどういう意味だろう?」
「……たしかに、ゲームをしているのは、ユウタさんとトウマくんだよね。これじゃ、他の人が協力したことがばれているみたい」
「ああ。言われてみれば、こんな音が絡むナゾ、ジュリがいなければ絶対に解けなかった」
「それか、音楽やってる人だね」
「うん。……父さんは、俺が誰かを頼ることを見越してたってことか? ……今回はたまたま、ジュリが近くにいてお願いできたけど、普段の俺なら人の力を借りるなんてしないだろうし……。ああ、でも、音が関係しているってわかったら、母さんか、ジュリに相談はするかもしれないな」
「ねえ! わたし、思うんだけど、あえて誰かの助けがないと解けないようにしたんじゃない?」
「……ありえるかも」
トウマくんはそう言ったきり、黙り込んだ。
やがて、自分の中で納得がいったのか、「うん」とうなずき、氷が溶けて薄くなったカフェラテをストローで一気に飲みだした。

5

すっきり謎が解けた小箱から、トウマくんのグラスへと視線を移す。中身がストローを通して、みるみるうちに彼の喉へと消えていく。
まるで早送りの映像みたい!
なんてことない、ささいな出来事にくすりと笑う。
「どうしたんだ?」
トウマくんはきょとんと首をかしげる。
「わたし、なんだか今、とっても楽しい。トウマくん、ありがとね」
「こちらこそ、ありがとうな。ジュリ、本当に天才だよ。音を当てられるだなんて」
「へへん。小さい頃から、音楽やってるからね」
わたしは得意げに笑う。
トウマくんもつられて笑ってくれた。
でも、その表情はすぐに真顔に戻る。
「なあ」
「ん?」
「しばらく、ピアノ弾いてないんだろ? 親に止められてるのか?」
「あー、違うよ。レッスンをお休みしたらどうかっていうのはママの案だけど、家でもまったく弾かないってことは、自分で決めたの」
わたしはテーブルへと視線を落とす。そこには小さなシミがある。
「でもさ、さっき息抜きは必要だって言ってただろ。木の下で音がわかったときのジュリ、すっごくいい表情してた。本当はもっとピアノ弾きたいんじゃないのか?」
「うん。……あー、もう。正直に言うわ! わたしはね、試験に落ちたときのことを考えてたの! 不合格だったときに、ピアノばかり弾いてたからって思われたくないから」
「あー。そういうことか」
「でも、やっぱり……。ピアノから完全に離れるのは止めようと思う。ストレスがたまるから。もちろん、受験がうまくいくように勉強もするよ」
「俺もそれが良いと思う」
「それにね、今日、わたし、授業中の集中力すごかったんだから」
「そうなのか?」
「うん。気を緩めると、ナゾのことばかり考えてて、このままじゃ、受験に影響して「不合格になったのは、あのナゾのせいだ!」ってなるんじゃないかって気がしたの。そんなのイヤだって思ったら、びっくりするくらい、先生の声が頭に入ってきた」
「ははっ。ジュリにはそういうやり方が合ってるのかもな。こう、なんていうか……。上手くいかなかったときに、なにかの責任にしたくないから頑張るっていう感じ」
トウマくんが言った。
「そうかも!」
「まあでもさ、頑張ってるの、みんなわかってると思う。ジュリの母さんがそんな感じのことを言ってたの、俺、知ってるから」
「え、そうなの?」
「ああ。俺の母さんに話してた」
「なら、よかった。さっそく帰ったらピアノ弾こうかな」
わたしの頭の中には、ショパンの「子犬のワルツ」が流れだした。軽やかなメロディ。小さなワンコが躍っている映像まで見えてくる。
「また、そのうち聴かせてくれよ。昔みたいにさ」
トウマくんが昔みたいにニカッと笑うから、わたしの心臓はとくとくと音を立てる。
「もちろん! 楽しみにしてて」
わたしたちは、軽い足取りで喫茶店を出た。
雨は止んでいた。
「あ! トウマくん、空見て!」
「虹《にじ》か。久しぶりに見た」
「わたしも!」
というより、空を見たのが久しぶり。彼もそうだったりするのかな。
わたしたちは、傘を差していたときよりも、ちょっとだけ近い距離で並んで歩く。
「じゃあ、俺、コンビニ寄って帰るから」
「うん」
交差点に差し掛かり、わたしたちはバイバイする。
ふいに、やってきたのはぽかりと穴があく感じ。
なにこれ?
さみしい、という形容詞が頭に浮かぶ。
「いやいや、トウマくんになら、すぐ会えるって」
クラスもおんなじだし、家だって近いんだから。
そう自分に言い聞かせながら、わたしは歩き続ける。
「あっ」
視界にパステルカラーのあじさいが映った。人をほっとさせる柔らかな紫色。青々とした葉っぱには、つやつやの雨粒がのっている。
そばには一匹の愛らしいカタツムリ。
「なんだか、メルヘンチックな光景! 梅雨《つゆ》も悪くないかも」
ブレザーの内ポケットからスマホを取り出して、わたしはパシャリとあじさいを撮った。
「いい感じ!」
誰かに見てほしい、とわたしは思った。
最初に浮かんだのは、初恋の人。
「そうだ!」
あとでトウマくんに送ってみよう。
スマホをポケットに仕舞って空を見る。
そこにはさっき彼と見た虹がまだうっすらと残っていて、わたしはそのことが嬉しかった。